大変な年である。コロナ禍で世界の様相が一変した。大激戦のアメリカ大統領選挙があった。我が国でも8年ぶりに首相が代わった。 東京五輪は延期になったが、はたして開かれるのだろうか? まったく先行きが見えない。
こういう時は、表層的な事象の変化ばかりを追っていても仕方がない。むしろ長い時代を頑固に生き抜いた個性、突出した表現者の声に耳を傾けるのが有益なのだな、と痛感した。そう、川久保玲のことである。
ファッションブランド、コムデギャルソンの著名デザイナーだ。が、ほとんど取材に応じることはなく、映像メディアでは見たことがない。 ある夜、ニュース番組に彼女が出ていて、驚いた。へぇ~、こんな人だったのか! 大きなマスクをしていたが、発言ははっきりとしている。どうして異例のテレビ出演を?「こういう状況下で、(もの作りの)パワーの大切さを皆さんにわかってほしかった」。ファッションショーの後の取材だったが、新作のテーマを問われ、彼女はこう答えた。不協和音。
また、“不協和音”である。今年8月、香港の民主活動家・周庭さんが逮捕され、保釈後に「『不協和音』の歌詞がずっと頭に浮かんでいました」と語った。アイドルグループ、欅坂46の平手友梨奈が「僕は嫌だ!」叫ぶ、痛烈なメッセージンングだ。平手はグループを去り、欅坂46はこの秋、改名している。平手友梨奈の周庭の、川久保玲の“不協和音”が今、交響したように聞こえた。
コムデギャルソンは1969年に設立された。半世紀を過ぎている。82年にパリコレに登場して、“黒の衝撃”と反響を呼んだ。DCブランドブームの80年代、黒ずくめのコムデファッションに身を包んだカラス族が世を闊歩した。84年にはコムデギャルソン論争が勃発している。思想家吉本隆明がファッション誌「anan」のグラビアページにコムデギャルソンのスーツに身を包んで登場。資本主義のぼったくり商品を宣伝したとして作家・塩谷雄高が痛烈に批判、両者の激しい論争が繰り広げられた。
これに意外応答、見解を示した人物がいる。 村上春樹だ。87年刊の『出る国の工場』は安西水丸と共にさまざまな製作現場を探訪するルポ本で、コムデギャルソンの章がある。題して<思想としての洋服をつくる人々>。春樹はコムデを<柔らかラディカリズム>と評して、60年代後半のカウンターカルチャーの機運を源としているのではないか、と推察した。そう考えれば「吉本埴谷論争もそれなりの必然性が見えてくる」と。
そこで彼が取材するのは、川久保玲ではない。デザイナーの指示を受けて洋服を作る現場の人々だ。コムデサイドは頑強に取材拒否し、春樹は猛烈にしつこく交渉する。結果、コムデ側が根負けして明かされたのは…東京下町、江東区の一軒家の2階で、笠屋のオジサン一家が働いていた。 コムデギャルソンのイメージとかけ離れている。しかし、このオジサンこそ、矜持ある一級の職人であり、コムデを支えているとわかる。
村上春樹が『ノルウェイの森』を出版するのは同じ年で、今やノーベル賞候補の世界的作家だ。まったくテレビには出ない。川久保玲と似ている。反発を呼ぶコムデギャルソンの孤立した頑なさを、春樹は「僕の人間的特性と酷似している」とも記していた。
川久保玲が「不協和音」と発したのは、今回のショーの作品が異色の素材の組み合わせによること…のみではないだろう。コロナで制限があり、できないことが多い状態に「しょうがない」と慣れてはいけない。むしろチャンスとして強く前へ出るパワーにしたいと彼女は言う。長く活動を続け、揺るがない一つの信念として“反骨精神”を挙げた。「いつも憤りを感じながら、それをエネルギーとしてやってきた」と。かつて柔らかくとも見えたカリスマデザイナーは、実は、真にラジカルな人だった。逆境にあって、内に秘めた信念があらわになる。 きらびやかなファッションを支える、反骨精神。この苦難の時代に、鳴り響く川久保玲の“不協和音”を聴いた。